正解がある世界で生きてきた人には正解がない世界が不安定で虚ろに見える。最近になってオレは正解のない世界に生きている、と思うようになった。長い間正解があると信じてきたオレは事あるごとに正解を探し、あがいてきた。可能な限りオプションを探り、これでいいのか、と自問する。他にも手はないのか、タイミングは今なのか、やり方に誤りはないか、等。
正解がある、と考えていると正解を見つけたいと思うのは当然だし、ガキの頃からそういう教育を受けてきた。ビジネスでも正解があると信じたからビジネス書を読みあさった。知識は増えて役に立つこともあったが、個別事案にあてはまらないことも相当あった。シンプルな案件やプロジェクトには十分通用するがヒト、モノ、カネのみならず複雑な状況が絡み合うとなかなか思い通りにはいかないものだ。
そんな時どうするか?
オッカムの剃刀ではないが、複雑なオプションや仮定を排除してセンターピンだけを見つめて正攻法でいく。シンプルイズベストだ。当然、何もしないも含まれる。
そもそも宇宙には確定しているものなど無いのだ。
アッテイルカマチガッテイルカを悩むよりももっと中心に焦点を当てる。結果が大事なのはオレではなくて他人。自分がブレて不様なのがたとえ結果が良かろうと一番醜い。どんなにバカでもそれだけはわかる。自分が死ぬまで、いや死んだ後も残るのは結果ではなくて記憶だ。結果はどんな結果でも記憶でしかない。
この世には正解がわかっていても(結果は良くなりそうでも)オレにはできん、ということばかりだ。
できないことはできない。そこが自分の限界でもあるが、だからこそ自分として存在できているということでもあるのだ。






